Christchurchの3週間  KGH



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2002年4月8日クライストチャーチ空港に降り立った。ここは1カ月前に観光旅行 で来たばかりであり見覚えのある空港である。ホストマザーが出迎えてくれ挨拶をした。 出発前にホストマザーの顔写真を入手していたのですぐ分った。 今度のホストファミリーは私と同年代であり話が合いそうな気がする。 彼女から疲れているか聞かれたのでNoと答えると、市内観光に行こうと言って モナヴェイル、バスターミナル、語学学校、リトルトンに連れて行ってくれた。 なかなか親切である。そういえば出発前に手紙を貰ったので返事を出した。 今までホストファミリーから出発前に手紙を貰ったのは初めてである。住ま いは市の中心部からバスで30分ぐらいのところで、サムナービーチの近くである。 ハウスメイトはタイ、韓国、中国の学生で韓国の学生は車を持っていた。 年齢もずっと離れていたし彼らは不在がちなので殆ど話すことはなかった。

クライストチャーチのバス停は名前が書いてなく停留所名は不明のままだった。 朝はバスセンター迄なので寝ていてもOKだが、帰りはバス停の手前で合図をしなけ ればならないので、最初は緊張して外ばかり見ていた。ニュージーランドは地図で見 ると小さいが、日本の3/4の面積に381万人しか住んでなく、人口密度は日本の3/100 である。従って1人分のスペースは日本の33倍であり、郊外の住宅は広く庭もゆっ たりしている。
例によって初日はレベル確認の入学試験があったが、不思議によく出来たのでレ ベル3に入れられた。私達のクラスは日本3人、韓国4人、台湾1人、ロシア1人、中 国1人であった。特に韓国の学生はまじめで熱心な人ばかりで彼らが私と同じ年代 になったときは日韓の関係は逆転するのではないかと思う。これは後日カイコウラの ツアーで出会った同年代の日本人留学生も同意見であった。滞在予定は3週間な ので2回しか週末がないことになる。主な観光スポットはツアーで来た時に行ってい るので、クライストチャーチ周辺の観光地のどこに遊びに行こうか考えていたら、学校 の案内にカイコウラのホエールウオッチング又はいるかと一緒に泳ぐ一泊ツアーの 参加者を募集していたので早速申し込んだ。勿論私はホエールウオッチングを選択した。 ツアーは他の学校からも多数参加していて7ヶ国の学生が来ていた。 寝袋持参で初めてバックパッカーに泊まり、夕食時にはお互い片言の英語で話がはずみ 楽しいひと時を過ごした。 鯨を見るのは 初めての経験で、水面上に体を見せるのは10m位なので思ったより小さいと感じたが、 潜水するとき尾を水面上に上げるので、その瞬間をカメラに収めるためにゆれる船上で 粘った。そのとき知り合った台湾の学生とは今でも時々メールのやり取りをしている。
翌日はホストファミリーがクライストチャーチ周辺の観光案内をしてくれた。今までの 経験でホストファミリーが観光案内してくれたのは初めてである。次の休みは アーサードパス国立公園内のアバランチピーク(1833m) に登った。クライストチャーチからは1日1便の列車又は1便のバスしかない。 人口が少ないので日本みたいに便数を多くしても利用 者が居ないのであろう。都市間の交通機関は似たり寄ったりである。 従って数日前にインフォメーションに並んでバスを予約した。列車は世界的に有名な トランツアルパイン鉄道だが、バスの倍近い運賃であることと現地での滞在時間の関係 でバスを選択した。登山道は急坂でもほぼまっすぐ作られている。しかも日本と違う点 はロープ、はしごは一つもなく自然の突起物を利用して登らねばならない。但し森林限 界を過ぎると約30m間隔でポールが立ててあってガスに巻かれてもルートを外さない ように工夫がされている。私は単独登山だったので殆ど話すこともなく無言の山登りで あったが楽しかった。
次の週の木曜日はニュージーランドの休日ANZAC Dayで学校が休みなのでアカロ アに日帰り観光に出かけた。(学校の近所に「追憶の橋」があり何を追憶しているか見 てみると第一次・第二次世界大戦、朝鮮戦争の戦死者を追悼したものである。 ANZAC Dayは戦死者を追悼する日である。私の認識不足でニュージーランドが朝鮮戦争 に参戦したとは知らなかった。)
私と同じ考えの人が多いのか同じ学校の学生が大勢来ていた。 アカロアはハーバークルーズ船が出ていて船に乗って港の内外を観光した。 太平洋の近くに来ると次第に荒々しい断崖が現れ興味深かった。 あほうどりが飛んでいたが風格があり感動した。 鯨は又見る機会があるが、(3カ月後ボストンで見た)あほうどりは生涯見る機会はないと思 い夢中でシャッターを切った。
同じ学校にタイから来た小学高学年くらいの子供が大勢学んでいる。 私は在職中タイの実習生と何度か仕事をしたことがあるあるが、例外なく英語は上手であった。 今回留学生と遭遇してなるほどと思った。金持ちの子女の多くは幼い時から海外留学させるので あろうか。しかし私の意見は小学生の年代で長期間親から離れ外国で英語を勉強させるより、 他に学ぶべきことが沢山あると思う。ホームシックになる生徒も多く、タイから先生のグループが 留学生のケアに来ていて同じ家にホームステイしていた。
ニュージーランドは非核宣言した国であり、カンタベリー博物館には広島、長崎の原爆 資料が展示してある。内容は言うまでもないが息が詰まりそうで涙が出てきた。 世界各国で計画が出来ても展示を取りやめることが多いが、ここクライストチャーチは 常設(?)展示している。又、南極探検に関する資料も興味深かった。
学校にはPCが6台あってうち5台は日本語インプット可であった。おかげで友人とメール のやり取りが出来て寂しくなかった。今回の語学留学はレベル3に入れられたため、 今まで習ってなかった文法も習うことが出来たので、もっと長く居るべきと感じた。 しかし次の予定(1カ月後カナダ留学)が控えているので、後ろ髪を引かれる思いで学校 を後にした。
いよいよ帰国の日が来たが、今回は3週間だったのであっという間の出来事 という感じだった。ホストマザーが空港まで送ってくれ、私が車から降りなくてもOKと言った のが大失敗だった。空港使用税を払わなければならないが、いつどのタイミングで払うか 聞いていなかったので、(モントリオールはセキュリティの前)重いスーツケースを押して うろうろするはめになったが、無事チェックイン出来て機内の人となった。 クライストチャーチからオークランドまでは成田、名古屋、関西行きは同じ便で、オークランドから 日本各地向けに分かれるようである。成田行きに乗るクラスメートもオークランドまでは同じ便 であった。
今回は秋から冬のはじめだったため、あまり花を見る機会が少なかったような気がする。 次回訪問するときは花の季節に行き、ガーデンシティぶりを見たいものだ。
以上
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